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このブログ記事は、2017年11月11日に改題・更新しました。
今回は、下請け企業の生き残り策について考えてみたいと思います。
戦国時代の下請け企業?
もし、あなたが経営している会社がある大企業の下請けであり、その大企業がライバル企業との競争に敗れて倒産してしまった場合、あなたならどうするでしょうか?
今、ゲームなどで大人気の戦国武将「真田幸村(真田信繁)」の父である「真田昌幸」は、天正10年(1582年)まさにそのような危機的状況にありました。
もともと真田昌幸は戦国最強と謳われた武田軍団の一員であり、武田家の庇護のもと領地を拡大していました。まさに、武田家からの下請けの仕事を全力でこなすことで、順調に右肩上がりの成長を続けているといったところでしょうか。
ところが、天正10年(1582年)主家である武田家が織田家に滅ぼされてしまうと状況は一変します。
なぜなら、真田家の領地は、織田(後に豊臣)や上杉、北条、徳川という大勢力の支配地域とそれぞれ境界を接しており、武田家の庇護がなくなった状態では、彼らにいつ攻め込まれてもおかしくなかったからです。
しかも、真田家の軍勢は、織田家(後に豊臣家)や上杉家、北条家、徳川家の大軍勢と比べてはるかに劣勢であり、とても真田家だけでは領地を守り続けることは難しいという状態でした。
下請け企業から、独立した企業へ!
それでは、武田家という後ろ盾を失った真田昌幸はどうしたのでしょうか?
真田昌幸は、とても柔軟に思考することで、このピンチをチャンスに変えました。
しかも、真田昌幸らしく!
真田昌幸は、織田家、上杉家、北条家、徳川家、豊臣家らを相手に、真田家の領地が要所である(真田家を味方につければ他の勢力に対して、戦略的に有利なポジションをとることができる!)ことを知らしめ、真田家の価値を最大限に吊り上げます。
つまり、織田(後に豊臣)や上杉、北条、徳川という大勢力とそれぞれ領地を接しているという弱みを、視点を変えることで強みに変えたのです。
そうすることで、真田昌幸は状況に応じて臣従する家を次々と変え、織田家、上杉家、北条家、徳川家、豊臣家を翻弄し、弱い立場でありながら、強大な彼らの力を逆に利用することで対等に渡り合い、信濃の小豪族にすぎなかった真田家を一躍大名にまでのしあげることに成功します。
その後、真田昌幸自身は石田三成に味方したことで、紀州九度山に配流され、その地で最期を迎えますが、真田家は長子である真田信之が引継ぎ、国替えはあったものの、幕末まで真田の家は大名として存続します。
ちなみに、真田昌幸と共に紀州九度山に配流された次子の真田幸村(真田信繁)が、真田昌幸の死後に豊臣家の要請に応じて紀州九度山を脱出し、大坂の陣で大活躍するのはご存じだと思いますが、こちらは現代の企業に例えるならば、真田家のブランド化に成功したといったところでしょうか。
うーん、すごい親子です……
次回は、下請けの立場から抜け出すのには何が必要か?について解説したいと思います。
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